恐るべき旅路

恐るべき旅路 ―火星探査機「のぞみ」のたどった12年―

恐るべき旅路 ―火星探査機「のぞみ」のたどった12年―

これはとっても忘れがちなことだけれど、日本も宇宙開発を行っている。いつだったかH2Aロケットの打ち上げで、科学技術庁長官の田中某議員は「打ち上げ花火」みたいという悲しい感想を残したが、日本の宇宙技術は独創性が高く、高度なものだってある。でも、アメリカやロシアのように成功が持続しない。

火星探査機「のぞみ」もその一つ。「のぞみ」は日本初の惑星探査機で、火星と地球は2年2ヶ月ごとに接近を繰り返すが、その接近に合わせて1998年7月打ち上げられた。
「のぞみ」は1992年から開発され始めたが、開発期間、予算、火星周回軌道に載せるだけの積載燃料、安定な運行を確保するだけの人的・物理的バックアップ体制も何もかもぎりぎりで成功が要求される過酷なミッションだったようだ。端的にそれが表れたのが探査機をいかに軽量化するかという問題。そもそも誤算の始まりは「のぞみ」を打ち上げるロケットM-Ⅴの開発の遅れ。地球と火星はたしかに2年ごとに接近するが、その程度は毎回違い、当然より近く接近するときの方が燃料は節約できる。燃料が節約できれば搭載する探査機重量には余裕が生まれ、その分設計にゆとりが生じ、安全策も立てやすくなる。ところが、1996年の地球火星接近に合わせて打ち上げ予定が1998年に延期されたことで探査機重量は当初の設計から100kg近くもの減量を強いられた。そんな過酷な条件ではやはり余裕をなくす。


一方でそういう制約があることが技術を推し進める。「のぞみ」は見事軽量化に成功し、無事打ち上げ、しばらくは順調だったが、次第にトラブルが続出する。極限下で懸命に対処する中、技術者たちは貴重な経験を積んでいけた。
惑星間航行技術のひとつにスイングバイがある。星の重力場(例えば月)を利用して探査機を加速・減速する技術で、これを利用して燃料を節約しつつ、衛星軌道を変えていく。日本の軌道計算専門家、川口淳一郎が「のぞみ」を火星周回軌道に載せるために考案したアクロバティックな軌道を考えつくまでの過程がスリリングだ。


技術者たちの懸命な努力の末、なんとか火星上空1000kmを通過するまで火星に近づいた「のぞみ」は、結局2003年12月、「のぞみ」は電源系のトラブルから地球との交信を途絶えさせたまま、その役割を終える。そこに至るまでの間、日本の宇宙技術を向上させ、積載した15のセンサーの幾つかはそれなりの成果は残したものの、総括すれば失敗だった。「のぞみ」には自分の名前を載せて火星に行こうというキャンペーンの結果集まった27万人の署名が小さくプリントされたアルミ板が着いている。「のぞみ」が現在も火星と同じように太陽を回る軌道上にあることを考えれば、幾ばくかはその思いも遂げられたのかもしれない。



404 File Not Found | 宇宙科学研究所
広報担当、的川泰宣先生の言葉通り、皆が熱狂するプランを次には成功させて欲しい。
「よかった点に依拠し、うまく行かなかった点を克服していくこと──懺悔でもなく自虐でもない、前向きの総括を行っていくことがわれわれの責務です」