痴漢冤罪 事件

どうも最近夜遅く帰るため、更新できないなぁと思っていたりする…。

久々に映画。
映画「それでもボクはやってない」
全編、音楽がほとんどなく、臨場感に溢れ、緊張感が伝わってくる映画だった。一緒に観に行ったMは「胸くそ悪い、腹が立つ。なんで金曜晩にこんな腹の立つ映画を見なきゃいけないのよ!監督の意図なんて10分で見え見えなんだから長すぎるわよ」といきり立っていたが、まぁそこまで乗っていただいて誘った方としては本望ですよ、はい。ちなみに腹の立つ対象は、もちろん日本の警察・司法システムに対して。


痴漢も、痴漢冤罪も両方問題にはなっているが、冤罪事件の悲しさを考えてみると…
①冤罪とされた被告及びその家族の人生が台無しになってしまう、という冤罪被害者問題
②犯罪被害者・関係者にとっては真犯人がわからなくなり、加害責任の追及ができなくなってしまう、被害者問題
を思いつく。
それに加えて、とても悲しいのは、犯罪被害者と冤罪被害者は、本来は犯罪に対する怒り、悲しみを同じ方向に持てるはず(冤罪被害者は普通の第三者なので当然)なのに、一旦告訴されて、一時的にも「被告人」とされてしまうと、犯罪被害者・関係者の怒りは、何も悪いことをしていない被告人に対して向いてしまい、その感情はたとえ裁判で無罪となっても、恐らく感情的に消えることが困難であることのようにいつも感じる。



http://enzai.xrea.jp:80/
茨城で痴漢として誤認逮捕された人の手記。完全なるアリバイがありながら15日間も拘留された話。
ここでは映画と違って、検察官は「きっちり調べる」と言ってくれたらしい。


事件 (新潮文庫)

事件 (新潮文庫)

映画でも日常かいま見えない様々な場面が出てくるが(留置場の布団の上げ下げ、とか検察庁での待合いの様子とか)、殺人事件を扱う審理過程をものすごく丁寧に書いているのがこの作品。
映画では最後の被告側最終弁論中に裁判官が寝ているが、この小説の中にも裁判官は時に居眠りしてしまうことが描かれている。この本を読んだのは高1の時だが、法律家だった父にそのことを言ったら、「そんなことまで書かれているのか!」と不快な様子だったのを思い出す。