誤判 戦う哲学者

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書)

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書)

映画の参考図書の中から読みやすいもの。
元裁判官弁護士が、自ら関わった、徳島ラジオ商殺し事件(1953年徳島のラジオ商が殺され、内縁の妻が逮捕された。冤罪の被告人が無念の死後、1985年無罪判決)、袴田事件(1966年味噌製造会社専務家族4人が殺害、住み込み店員だった元ボクサー袴田巌さんが逮捕。明らかに冤罪でありながら、死刑が確定。現在再審請求中。袴田さんは精神に異常を来しているという)、長崎事件(1977年に起きた痴漢冤罪事件)の3つの事件を例に挙げながら、日本司法の問題点を論じていく。


最近の裁判では、「裁判所が証拠関係から離れ、自ら『推測』を施すことにより補充して、その上で有罪を宣告するケースが増えている。」という。

>>被告人が、鞄を両手で持っていたために手が塞がっていて、被害者女性が述べるような痴漢行為を働くことが不可能である事実が明らかとなっているのに、裁判所は「鞄を持ち換えれば片手でできる」という推測を自ら補足して無理やりに有罪にした事例がある。<<

いくら証拠を出しても駄目なんだ、と絶望的になってきますな…。

著者は裁判官出身でもあるから、その自戒とともに10の提言をしている。
願わくば「否認」事件において性急な事実認定がなされないことを祈るばかり。

でもね、「推定無罪」の原則が守られないのは、容疑者=犯人の図式がマスコミを通じてすぐに作り上げられてしまう庶民感覚もいけないんだと思いますけどね。


うるさい日本の私 (新潮文庫)

うるさい日本の私 (新潮文庫)

こちら、戦う哲学者中島義道
エスカレーターを通るたび、「エスカレーターでお乗りの際は黄色い線の内側にお乗りください。手すりの上には乗らないでください。お子様をお連れのお客様はお足元に十分ご注意願います」という誰も聞かない大音声を延々と聞かされるのはもう沢山だ!と思う人、この本を読むと中島さんが自分の代わりに懸命に戦ってくれているのに感動します。

とはいえ、余りに戦闘的なので、ちょいついていけない部分はありますが…でもその主張はすべて正しい。


なぜこんな人になったかはこれを読むとわかる。

生きるのが困難な人々へ 孤独について (文春新書)

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