「容疑者Xの献身」 エルデシュ フェルマー ラマヌジャン

年末だし(いや今日は明けて新年ですけれども…)、1冊くらいは、「このミステリーがすごい!―2005年のミステリー&エンターテインメントベスト10 (2006年版)」から読むかということで、文春でも1位だった東野圭吾容疑者Xの献身」を読む。どうでもいいけどこのblogに東野圭吾が(今のところ)多いのはただの偶然。

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

刑事コロンボ古畑任三郎よろしく倒叙形式をとっているので、殺人の犯人は最初からわかっている。
弁当屋に勤める花岡靖子には別れた夫がいたが、金の無心に来た彼を娘と共に思いあまって殺してしまう。どうしようかというところに登場するのが隣人の高校数学教師石神。将来を嘱望された、論理的思考はお手の物とするこの数学者は実は花岡に気を惹かれていたため、援助を申し出る。彼の対策は完全無欠のものに思えた。しかし、捜査刑事の友人で、かつて石神の大学同期でもあった天才物理学者湯川学の登場で歯車が狂い始める…。


内容のトリックには、騙されました。途中で、こういう展開だろうと読めたと思ったらやっぱり駄目でした。ちょっと口惜しい。
石神の花岡に対する愛情が、純愛、と評されることが多いが、どうだろう…。個人的には、自分が絶対に好きになり得ないタイプに好きになられること、それ自体がストレスになってしまうと思うし(まぁそこら辺の花岡の心情はちゃんと描かれてはいるものの)、石神がもし自分の行為が花岡に重荷を与えないと考えていたのだとしたら、それは人間の心をわかっていないということでしょう。

本としては面白い。一気に読めました。ただなぁ、天才物理学者探偵の相手だからといって天才数学者である必要は無いと思うんですけど…あー駄目か、最後に天才に凡才がしてやられたら、やっぱり天才には敵わないよ、ってことになるもんね。

物語に出てくる天才数学者、エルデシュに関して知りたければ(多分種本)、この本。

放浪の天才数学者エルデシュ

放浪の天才数学者エルデシュ

エルデシュハンガリー生まれの数学者。1996年83歳で死ぬまで一日19時間数学をやっていたという。奇行の人で、友人の家を泊まり歩いた。
この本に出てくるエルデシュの好きな言葉。
エスプレッソは数学者の飲み物」
エスプレッソを飲むときには思い出しましょう。

ところで、エルデシュは数論の専門家。
数論の変人天才数学者で子供好きってのは、多分小川洋子のベストセラーのモデルでもあるんじゃないか。

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)


この、数論の天才というのはそうそうたる数学者が勢揃いしている。
天才という言葉は数論のために用意されているのではないかと思うくらい。
さっと名前を挙げるだけでも、オイラーガウス、コーシー、リーマン、ガロア…。
物語の中に出てくるリーマン予想に関してはまた本を読むことにするとして、数論の公式で誰もが知っているものは、フェルマーの最終定理だろう。
誰もが簡単に理解できるが、しかし、証明されていなかったこの予想を、1994年にイギリスのアンドリュー・ワイルズが証明したとき、驚きと賞賛の気持ちとそして同時に寂しさを覚えた人は少なくないのではないか。

歴史上の大天才達の努力を退けてきたことを成し遂げたワイルズの偉大な業績を興奮と共に読むことができるのは幸せだ。

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

数論の歴史を同時に読むことができるこの本より優れた数学ドキュメンタリーを知らない。


さて、私は数論、という言葉を聞く度にインドの天才数学者、ラマヌジャンを思い出す。
ラマヌジャンは1887年にインドに生まれ、独学で数学を学び、おびただしい数の定理と公式を見つけ出した。正当な教育を受けなかった彼は、独力で発見したこの定理・公式を夢のお告げと信じていた。
従って、彼自身は証明の必要性など感じていなかったのだが、彼からの手紙を受け取ったイギリスの大数学者ハーディはびっくり仰天。大天才だと見抜き、カーストの掟で渡英すればもう戻れないであろう彼をついにケンブリッジに招く。
そして2人の共同作業が始まった。ラマヌジャンが毎朝(!)持ってくる新定理をハーディが証明し、論文にする。
研究生活は順調であったラマヌジャンだが、イギリスの気候、風土、食物は身体に合わず、また家族とも離れた彼は次第に身体を病んでいく。
1919年彼はついに帰国するが、翌年死亡した。

もし興味を持ったなら自身数学者で新田次郎の息子でもある藤原正彦のエッセイを。

心は孤独な数学者 (新潮文庫)

心は孤独な数学者 (新潮文庫)

ラマヌジャンは死の床で600を越える公式を残した。
彼の「失われたノートブック」は1976年に再発見され、写真のコピーがそのまま本になっている。そして、いまだ証明を待っている。