凍 空へ デス・ゾーン

沢木耕太郎のノン・フィクション「凍」を読む。

凍

日本人登山家山野井泰史とその妻妙子が、ヒマラヤ、ギャチュンカンに登った2002年に登った姿を描くドキュメンタリーである。
山野井はメディアへの露出を好まないため、一般には余り知られていないが、8000m級の困難な山々を単独「ソロ」で踏破している世界有数のクライマーのようだ。
8000m級のような山を登るクライミングスタイルには、ベースキャンプから順に頂上にアタックする最終キャンプまで設営をすすめ、重装備と多人数でアタックする「極地法」と、少人数・軽装備でベースキャンプから一気に山頂を目指す「アルパイン・スタイル」があるが、山野井はアルパイン・スタイルの大家。
一級のクライマーは「より困難なルート」つまり「壁」を目指すことに何よりも魅力を覚えるらしい。8000mにわずかに足らないことが影響して、ギャチュンカンはエヴェレストとチュ・オユーという有名な山に挟まれた無名な山だったが、山野井は北壁を初登したスロヴェニア隊の話を聞き、さらに北東壁に当たりをつけて登ることを決意する。
山野井は夫婦で共に準備をし、ネパールからチベットへ入り、ギャチュンカンへ到達。当初困難な北東壁には単独で登る予定だったが、北東壁登攀は不可能と断念、北壁ならば夫婦でチャレンジできると、夫婦でのアタックに変更する。
そして、この変更が、困難に遭遇した際の対処の仕方や、山での夫婦間の信頼とは何かといった問題に、「山へ行く夫と下で待つ妻」という構図からは決して生まれてこない迫力、切迫感を生み出していると思う。

山野井夫婦の性格の違いが面白い。泰史はアタックが近づくにつれて緊張し、無口となり、不機嫌になる。壁を前にするまでは不安感が強い。いざ登り始めれば覚悟は決まるが、ルートの取り方、ハーケンの打ち込みなど慎重の上にも慎重を期する。またそれがこれまでの「ソロ」の成功と生還をもたらした。対する妙子は、緊張感を見せない。いついかなる時でも、ロープで宙づりになろうともパニックにならず怖さを覚えない。沢木はこの対比を丹念に描き、この遭難劇において2人の性格の違いがどのような役割を果たしたかに結びつける。
それにしても、夫婦は無いものを補い合うのが良いのかな。


さて、山岳ドキュメントといえば、ジョン・クラカワー「空へ」より優れた著作は少ないだろう。

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか (文春文庫)

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか (文春文庫)

1996年3月、エヴェレストで、4つのパーティが遭難し、11人の死者を出した。著者のクラカワーはアメリカのアウトドア誌「アウトサイド」記者で、そのうちの1つのパーティに参加していた。この本は死者を出したパーティに参加していた当事者による迫真のドキュメントである。死者の中には日本人女性が含まれていたため、日本でも大々的に報道された。

今エヴェレスト登山は完全に商業化し、ルートには全てロープなどが張られて、ツアーによる登山が行われている。だから、多少の登山経験は必要ではあっても、金さえ払えば世界一の高みに到達することが可能なのだ。

この本ではそんなお金持ちたちの為のツアー隊、アドベンチャー・コンサルタンツ遠征隊、マウンテン・マッドネス遠征隊の2隊の様相が記述の中心となる。
ツアーとはいっても、ガイドはそれぞれロブ・ホール、スコット・フィッシャーという経験豊かな一級の登山家たちで、その彼らの隊が何故遭難、大量死につながったのかそこには、単純なヒマラヤ登山の困難さという事実を超える様々な問題が絡み合っているのを知ることができる。

マウンテン・マッドネス隊にはロシア人で卓越した登山家である、アナトリ・ブクレーエフもガイドとして参加していた。彼はこの遭難劇の生還者の1人ではあるが、「能力があるのに救出に十分関わらなかった」として、クラカワーの著作の中でも非難された。
しかし、ブクレーエフにはブクレーエフの言い分がある。彼は決して救助活動をとらなかったわけではない。それどころか、一旦生還したあと1人で二度も救出活動に向かっている。日本人難波康子を救出できるのももう少し条件が良ければできた。
「空へ」を読んだなら、公平を期すためにこの本も。

デス・ゾーン8848M―エヴェレスト大量遭難の真実

デス・ゾーン8848M―エヴェレスト大量遭難の真実

尚、ブクレーエフは翌年遭難死した。
また、個人的にはその年に、私はヒマラヤトレッキングに行ったため、本の中に出てくる懐かしい地名や風景を読むにつれ、感慨深いものがあった。