医療崩壊

バイト先上司に勧められ読んでみる。上司は著者に指導を仰いだ時期もあったらしい。
「まさに我々が言いたかったことをしっかり代弁してくれているよ」と言うので。

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

安全信仰が高まる中で、医療事故に対する世の目は厳しい。いや厳しいのは良いが、メディア、警察、一般人の医療に対する期待と、実際に提供できる医療の限界との齟齬が余りにも大きく、特に勤務医の精神的・肉体的疲労が蓄積し、もはや耐えられなくなってきている。病院を支え、日本の医療を健全に保つ責務を負っているはずの中堅の医師たちが現状に絶望し、自らと家族の生活を保持したいというささやかな願いからリスクの高い病院診療から離れている。看護師たちも同様である。
著者はそれを「立ち去り型サボタージュ」と呼び、このままの状況が続くなら、日本はイギリスに続く医療崩壊の憂き目にあうことを危惧しているのだ。
以下、内容と共に自分の意見も交えて。

イギリスの医療崩壊は凄まじいらしい。イギリスでは受診する医療機関を自分では選べない。GPと呼ばれる一般医から主治医を選択、登録し、入院が必要であればその主治医から病院に紹介される(ここまでは知っていたが…)。しかし、その待ち時間が半端でない。病院にたどり着くまでも、そしてたどり着いてから診察を受けて入院決定を受けるまでも。救急外来での入院が必要と判断されてから病棟に行くまでの平均待ち時間が3時間以上、最高で78時間。これは3日放置されていたのと一緒。こうした状況に患者は怒り、医療従事者は頻繁に暴力を受ける。そして大量に医師の国外流出が続いている。この状況を生んだ元凶は医療費抑制政策と医療者への攻撃だった。


報道を見る限り、日本はイギリスの道を辿っている。医療費は抑制される。しかし、安全は過大に要求されている。少しのミスも世の中は許してはくれないようだ。そもそも医療費抑制と安全要求は完全に矛盾したものであるにも関わらず、両方の満足を日本の医療関係者は今求められているのだ。
アメリカ型が良いか?アメリカの医療は先進的なものとして紹介されるが、現状は決して満足のいくものではない。高額所得者は質の良い保険に入れ、良質な医療を受けられる一方で、保険に入れない人は4000万人に達するようだ。このまま安全要求が度を過ぎれば、必ずそこに行き着く。

「金さえあれば手に入る質の良い医療」社会は私には到底良い社会には思えない。もちろんエクストラで様々な特権が大枚はたけばついてくるのはある程度当然として、現代医療の通常水準は普通に受けたいし、医者としたってそれが提供できなければやっていて空しい。
「申し訳ありませんが、その医療はあなたの支払い能力では提供できません」という言葉は、少なくても標準医療の枠内では言いたくない。


現状のようになってしまった大きな要因に、著者は死生観の変化を上げる。人は必ず死ぬのに、それを受け入れられない、あたかも現代医療は死を回避する魔法を手に入れているかのような幻想を一般の人々は持っているようだ、そしてその歪んだ死生観を醸成したのがメディアに他ならない、という著者の意見はそのまま頷けるものだ。

確かに、どうも人は死ぬっていうことがわかっていないじゃなかなぁと思うことは多い。癌を告知されたとき、最後まであがく人がいる。個人的印象では家族の方が多い。世にはびこるまやかしの健康食品の類に手を出し、インチキ治療者を信じ、標準的医療の恩恵を捨ててしまう。本人は達観していても周囲がいつまでたっても、「私の大切な人が死ぬ」ことに耐えられない。非現実的医療を追い求めることは、まもなく死にゆく人と過ごせるはずの貴重な時間を無駄に捨ててしまうばかりか、強烈なエゴの発露でしか無いとも言える。
子供の命を救うためにあり得ないほどの臓器移植を望む傾向も私には異常に思える。楽に死なせてあげなければいけない状況はあると信じる。もちろん、人の親でもないのに、と言われればそれ以上議論は難しい。


全体に読了して、私自身医者ということもあるだろうが著者の言うことの殆ど全てが正しいと感じる。一般の人たちから見てどうなのかはわからない。でも公平に言ってこの著者の言うことは殆ど頷けるものじゃないかと思う。決して悪徳医師の味方をしているわけではなく、また医師の個人責任が無いと言っているわけでもない。

自分の問題としても、また同僚・後輩と話していてとても悲しいと感じるのは、「だって訴訟が怖いですから」という言葉を聞いたときだ。常に訴訟の恐怖にとらわれている同僚がいる。「これもあれも説明しないと…僕は処方するのが怖いです」と訴える後輩がいる。もっと普通に信頼関係を結べるはずなのに、と思う。治療のための同意のサインがこれでもかと差し出される社会の歪みが早くなくなって欲しい。