自殺

アーサーはなぜ自殺したのか

アーサーはなぜ自殺したのか

シュナイドマンはUCLAで「死生学」を講義していた自殺研究の大家。身体的病気の原因を病理解剖して探ることを「剖検」と呼ぶが、シュナイドマンは自殺者の心理的要因を探る。それを「心理学的剖検」と名付けた人だ(初めて聞いたけど)。
この本は、著者がある若者の遺書を母親から受け取ったことから始まる。シュナイドマンはその若者(アーサー)の直接関わった人々:両親、兄弟、恋人、前妻、心理療法家、精神科医、親友の他、自殺研究や予防で名高い医師たちに彼の遺書を見せて、アーサーが自殺に至った要因や、果たして予防できたのか、といった点をインタビューしたものをまとめたアーサーの心理学的剖検の報告。


アーサーは33歳で自殺した。有能な医師かつ弁護士でもあって、誰からも好かれていた。小さい頃は学習障害を抱え、常に優秀な兄と比較され、「育てにくい子」として周囲の手を焼かせていたが、大学に入ると能力を発揮するようになり、医学部も法学部も最優等で卒業。医師としても法律家としてもとても優秀な評価を得た。
一方で、若い頃から常に虚無感を抱え、楽しいことがあった直後には必ず抑うつ的になり、自らの良い評価に自信を持つことは出ず、「いつか崩壊する予感」につきまとわれた。学生時代から精神科医の治療を受け、一定の効果はあったが十分ではなく、治療には拒絶的で、最後の数年間は受けなかった。
最初の妻とは学生時代に結婚したが3年で破局、次の恋人とは別れと復縁を繰り返した。つきあい始めて幸せになると次には「自分にふさわしくない」と別れを突きつけ、そのくせそのすぐ後からまた復縁を望み、最後には恋人が耐えられなくなった。
最後の日、アーサーはその恋人(すでに他の男とつきあってはいたが)と連絡を取り、親友と過ごし、自殺するとは思われなかったが、深夜大量服薬をはかり、自殺した。遺書を残してはいたが、それまでに何度も繰り返した自殺企図のことを考えると、その日も大量服薬という成功率の低い手段を選んだこともあり、どこかで助かりたい気持ちもあったのかもしれない。


著者のインタビューした何人かが感じていることだが、アーサーの自殺は結局の所避けられ得なかったのかもしれないと思う。彼の抱く、常に心を支配する虚無感は死に対する親和性が余りにも強く、それに抗い続けるのは大変かなと。治療に対する素直さにも欠けているし。定型的なうつ病なら、治療にきちんと反応するからいいのだけれど、アーサー違うからね。多分アーサーが持ちうるような死への親和性は生物学的素因といえるものでしょう。その解明ができれば、アーサータイプの自殺は防げるようになるのかなぁ…。


尚、帯に「映画『羅生門』のように、真実は見る人によって異なり、アーサーの実像はまったく異なって語られる」とあるけど、これは嘘だなぁ。確かに違いはあるけれど、直接関わった人たちの違いは微妙で、アーサーへの周囲の印象はかなり統合されているように感じた。差違があるとすればそれは関わった人たちの、「自分ならアーサーにこういうことができた」という後悔と傲慢さから来るものでしょう。



自殺に関してはよく考えるけれど、うつ病統合失調症をはじめとした何らかの「精神病」に起因する自殺は治療さえきちんとすれば防げるし、防がなければいけない。
一方で「あらゆる選択肢を考えた上で、状況を打開するのに最も適切な手段は自殺」という結論はありだと思う。もちろん、圧倒的多くの場面でその考えが間違っているから、実際には防ぐ必要はある。

死の名場面―喝采!人生の終わり方 (ワニ文庫)」などを読んでいると、クレオパトラにしろ、ロンメルにしろ、織田信長にしろ、黙っていても死があったとはいえ、彼らは自死する以外の手段で誇りは保てなかったはず。川端康成円谷幸吉などはその選択が残念に思われるし、三島は困ったものだ。芥川は自殺しなかったらどうなっていたのかなと思う。


ところで、「アーサーは…」はシュナイドマン80歳を超えての著作。すごいですね…。この歳になってからなのか、他の著作でもそうなのか、著者の人に対する愛情は感じられます。